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390m、日本一を首都・東京に奪回

国家戦略特区には新しいランドマークタワー・パワーが相応しい。超高層巨大建築物は都市の活力の果実であり、新たな旗幟(エンブレム)が掲げられるからである。

高さ390mの日本一の超高層ビルを建設する、三菱地所による「常盤橋街区再開発プロジェクト」は首都・東京のド真中に、求心的磁力が発せられる立地条件に在り、加えて「東京駅」という基幹交通の結節点に位置する。杉山博孝社長が「都市のアイコンが都市ブランドを上げる。東京のシンボルとなるプロジェクト。世界で一番ビジネスのしやすい街にしていきたい」と、意気込むのも絶好の「地の利」の優位性を認識しているからであろう。

開発規模は東京駅周辺での最大規模、「丸の内再構築」は第3ステージに入る。「東京国際金融センター」構想では、大手町から兜町地区との中軸ゾーンに在るから、国際競争力強化機能や都市観光施設を整備するとしている。地下4階建ての変電所棟や下水ポンプ場棟を含む全4棟の延べ面積は約68万m2、丸ビル4棟分に相当する。事業規模は土地代込みで約1兆円超となる。新国立競技場計画の建築費削減や施設規模縮小に見る人心の縮み志向に、規模と投資額で痛快な民活力を見せつけた超高層都市構想となった。

2014年に完成した大阪市阿倍野区の「あべのハルカス」(300m、60階)を90m超え、「横浜ランドマークタワー」(296m、73階、1993年)で獲得していた高さランキング1位の座を奪回することになる。横浜支店から丸の内本社(東京・千代田区)へ、2027年には首都・東京都心に日本一のビルが屹立する。

山手線駅前周辺から戦後の街、関東大震災後の街並みが消えている。国家戦略特区による規制緩和、特に容積率緩和と事業認可の短縮化は、山手線駅前や都心密集地から「戦後復興、震災復興」時の無秩序的乱立状態を脱皮させ、成熟した新都市街区を再生しつつある。

東京駅東口での常盤橋街区計画は「千代田区大手町と中央区八重洲」に掛かっており、南口で先行している「八重洲1、2丁目」(三井不動産、東京建物)の再開発が完成すれば、東京駅周辺の戦後的・震災後的街並みは一掃される。

常盤橋開発では1956~1972年に建築された5つのビルが解体される。日本ビル(17.3万m2)、朝日生命大手町ビル(4.9万m2)、JXビル(6.3万m2)、大和呉服橋ビル(2.4万m2)、JFE商事ビル(1.4万m2)で合わせると延べ32.3万m2となる。実質の増床面積は35.7万m2だ。金融系の海外企業をそれだけ呼び込めるか。

懸念は特区の開発事業に外資(ハゲタカ)が全く参画、投資していないことだ。既存ビルの売買事例はあるようだが、新規開発にはリスクがあると見て様子見している。外資の不動産投資に対する消極的姿勢は不気味だ。

日比谷地区では三井不動産の特区事業がスタートし、新橋駅前の「ニュー新橋ビル」は野村不動産が建て替え事業に動いている。浜松町の「世界貿易センタービル」も建て替えが射程に入った。田町駅から品川駅間では2020年に新駅が暫定開業する。JR東日本は品川車両基地跡地の周辺整備計画(グローバルゲートウェイ品川)を特区申請した。

渋谷駅周辺では東急電鉄、東京メトロを事業主体に戦後的渋谷街の大改造が始まった。新宿駅南口ではJR東日本の「新宿ミライナタワー」が来年3月に完成する。歌舞伎町も大江戸線の開通やコマ劇場跡地が新東宝ビルに改築され、残るは東口のみだが中小商業ビルの建て替えが増え出した。池袋駅前では西武百貨店の建て替えが決まっている。

地下鉄沿線の駅前でも戦後的、震災後的密集地区の整備が進む。虎ノ門、赤坂、六本木などでは超高層ビルを主柱とした敷地集約型再開発で、「江戸から東京」は終わり、景観は「TOKYO」へと変貌している。

戦略特区の認定増加とともに超高層建築ビル・マンションが増えてきている。100m超の建築物は年間平均10棟前後だったが、建築計画は激増中だ。建築費の急騰で着工を見直している開発組合も出ているが、市街地再開発、駅前再整備、マンション団地建て替え、湾岸部などで超高層化は急進展している。

都市再生の牽引役である高層建築物に関する著作でお勧めしたいのは「高層建築物の世界史」(講談社現代新書)だ。著者は大澤昭彦東京工業大学大学院助教、紀元前3000年からの高層建築史を明解している。それによると、高層建築物の歴史は、(1)権力(2)本能(3)経済性(4)競争(5)アイデンティティ(6)眺め(7)景観など、7つの意味(視点)に要約されるとしている。

建築技術、居住性、資産性などは論じていないが、権力・権威の誇示、宗教性、建築史、建築物の公共性などに関しては非常に説得的だ。「超高層建築物は好景気に建築が始まり、不況期に完成する」とのシグナル現象は単なる景気循環の結果だとしている。

日本の高層建築の歴史は1920年の市街地建築法による100尺規制が1964年の容積率制度の導入まで続いたことが、都市の高層化が遅れた要因としている。

新幹線、高速道路が開通したオリンピック時には建物の高さが原則31mに制限されていた。航空法や景観論議もあったが、小泉都市再生政策で都心回帰、都心居住が一挙に進んだ。

再開発事業では商業、住宅、オフィスの複合開発が多く、多様な機能性が付加された。特区開発では(3)経済性(4)競争が牽引力となり、東京都心部の「戦後復興・震災復興」がようやく終わった、と都市計画関係者は宣言するべきだ。

さて、戦後も震災も東京も忘れた後世の新世代は、平成特区で再生・成熟した「TOKYO景観」をどのように再々開発するのであろうか。

(提供:日刊不動産経済通信)

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